長い夜

行きは少しだけ重たかった足取り。——帰りなら、もう少し重く。


見飽きた顔の某医者より告げられた言葉は、寧ろ警告だったのかも知れない。

時は一刻ほど前に遡る。
彼の診療所の一室で、向かい合う雑談の最中。



「…なぁ、御前さん…———気付いてるんだろ…？」

彼が徐に話題を変えた。
それから先は、お決まりの。
説教じみた、されど淡々とした言葉の羅列。
感情を込めている癖に、声音には出さない医者の、獣臭い吐息。

「…——嗚呼。最近、出歩いてるみてぇだな。　…夜」
怠惰な煙草の紫煙を、ゆっくり吐き出しながら、呟いた詞は。
相手よりも、もしかしたら自分自身に言い聞かせる為だったのかも知れない。

「…その少し前は…———」
其処で言葉を止めた理由。　なんと形容すれば良いか、解らなかった。
言葉を知らなかった。——だから。

「…苦しんでたみてぇだったけど」
としか、言えなかった。

そして、刹那、喉元に伸ばされる彼の無骨な腕は素早く
遠慮の欠片も無く、狙いならば己の襟首を正確に定め。
思いっきり引き寄せられ、唯何も言葉を発さぬ冷徹じみた冷たい視線が
突き刺さるように、己の眼帯を通り越し、その奥の空虚な眼窩を見据えるのだ。


「…———………ッッ！」
そして、一発。
きっとそれも、手加減はまるで無かった。
綺麗に吹き飛ぶ身体は、壁に勢い良くぶつかって止まる。
　
——だが、怪我は無い。寸前で身体を捻って軌道を読んだ。
自分で「殴られた」フリをした。


「…派手な怪我作って帰ると犬が心配すンだよ。　…そう言ってた。…嫌だって」
のろのろと起き上がりながら、顔色一つ変えずに己を確かに
「殴った」相手に向ける言葉は、響きも言い草も普段通りに。

「…「言われた」言葉しか、信じねぇのか？　
　彼奴に気付かれない努力だけなら怠らねぇ癖に。
　…こうして、俺に…———や、良い。　…今の御前さんには、
　言っても無駄なんだろうよ。　…唯、取り返しのつかねぇ事になるぞ。
　——此の侭だと、何れ。近い内に」

そうして。言いたいことだけをつらつらと言い放ったその医者は、
様々な「薬」が入った紙袋を乱暴に投げ寄越し、音を立てて扉を閉めた。




——そして、今現在。
家路に付く途中。
時刻は深夜。
彼の気配は、きっと今夜もあの屋敷には無い。
街中で流れている噂も、知っている。
目安なら、付いている。
———全部、知っている、筈だ。


だけど。




———夜は過ぎて、明け方。
一睡もせず、唯煙草の吸い殻だけが山となった灰皿。
鎮座していたのは玄関脇のロビー。ソファの、上。


彼の帰ってくるその気配だけを、見逃さないように。

何時もの声で、何時もの態度で、いつもの仕草で。

「…お帰り。　朝飯あるぞ。　…食え」
差し出す、その内容ならば。
コーンフレークに牛乳に、ヨーグルトに——
後は、真っ赤な苺が沢山入った一皿。

———隠し味は、即効性の睡眠薬。


眠ってくれたら、己の自室に運んで。
彼の寝顔だけを見て、長い昼と夜を過ごそう。

彼が目を覚ました時、願わくばそれは、
次の日をまわって朝日が差し込む時間帯になっていれば良い。



——後の事は、知らない。
———唯。

その体温が、今だけ手の中にひっそりと、あるその事実だけを。



信じる。



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空白ばっかり多い文体は相変わらず。
スペースの無駄遣いチャンピオンと呼んで（ぇ）
某氏のＳＳに対する返答、という事で（礼）
…続きは、ロールで、かな。